サポーターによる活動の紹介12:『サポーター集会』

小話の部屋の数少ないシリーズもの「サポーターによる活動の紹介」シリーズ。今回は、サポーター集会を取り上げたいと思います。サポーター集会というのは、コンサドーレのサポーターが一堂に会して、クラブのことや、応援や活動について話し合う集会のことです。集会の主催者のお一人である柳沼さんに、“成り立ち”、“これまでの経緯”、“今後”と、集会の現在過去未来についても、書いていただいたので、それも紹介します。


この集会は、97年末HFCが経営難だということで、マスコミをにぎわしていた頃、コンササポーターの不安や疑問を解決するために、サポーターが自主的に開催しました。その時はHFCからも何人かに参加していただいて、パネルディスカッションの様な形で開催されました。
集会を企画したのは、4つのOSCの代表の方々。サポーターが一堂に会して、話し合える場をということで企画されました。従来、このような目的のものと言えば、HFCが主催するOSC代表者会議があったのですが、これは、参加できるのがOSCのメンバーに限られていました。そのため、誰でも参加できる場をというのが集会を開いた目的の一つだったように記憶しています。従って、この集会、誰でも参加できます。別にファンクラブの会員である必要もありません。
この集会は、サポーターがサポーターのために開いている集会ですが、毎回、HFCからもスタッフの方を招待して、何人かに参加していただいています。コンサやHFCに関して直接話を聞いたり、質疑応答がかわされます。 集会の内容は、HFCからの近況報告、HFCへの要望や質問、OSCの活動報告や質疑応答、サポーターの意見交換会などです。今年、春先に開催されたもので、5回を数えました。不定期ですが、事前に開催が告知されます。このホームページでもお知らせしますが、コンサショップなどにも掲示されので、興味のある方は参加してみるといいかもしれません。

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(以上記事:二上英樹)


サポーター集会について

サポーター集会 主催者代表 O.S.C OUR PRIDE  柳沼 聡

1.サポーター集会開催の経緯

1997年11月18日、HFC会長である今井春雄丸井今井社長が川淵チェアマンからのJリーグ昇格決定の電話を受け、コンサドーレ札幌を応援してきた全ての人々が歓喜の声を上げた。それからわずか数日後に新聞紙上を賑わしたのは、その今井春雄氏の丸井今井社長解任の記事だった。コンサドーレ札幌誕生の功労者であり資金面の実質的な大黒柱でもあった今井氏の丸井今井社長解任騒動は、その時既に累積赤字17億円を抱えていたコンサドーレ札幌にとって突然の死活問題に発展してしまった。まさに天国から地獄に一気に突き落とされてしまったようなものだった。
1997年は鳥栖フューチャーズが解散し清水エスパルスの経営危機が表面化した年でもあり、コンサドーレ札幌に対するマスコミの扱いでも今井氏の問題の後にコンサドーレ札幌を立ち上げた若手経営者と道内財界重鎮との確執や、既に出資している道や市の支援に対しての慎重論などを伝える報道も出てきた。そしてサポーターは真偽が定かではない数少ない情報に振り回されているような状態だった。
このような状況の中で私はサポーターの不必要な不安を取り除き、サポーターが前向きな気持ちでクラブの力になるためには、直接HFCから話を聞くしかないと考えた。さらに今回の経営危機で市民自らクラブを支えようという熱い思いの人たちがいることを他の市民にも知ってもらい、コンサドーレ札幌に対する市民の気持ちが冷めるのを防ぎたいと考えた。
HFC主催で年一回のオフィシャル・サポーターズ・クラブ代表者会議が開催されてはいたが、その内容は公表されずしかも個人のサポーターは参加できなかった。私はコンサドーレ札幌が市民クラブであるならば個人でも参加できるクラブとの意見交換の機会を開くべきだと以前から考えていたので、この機会にサポーター主催でHFCとの対話集会を開くことを決心した。当時、一緒に「ビッグ・フラッグを作ろう」という活動をしていたサポーター仲間に声をかけて「臨時サポーター集会」の開催を企画した。この時のメンバー4人がサポーター集会の主催者となっている。

2.サポーター集会の変遷

(1)臨時サポーター集会 1997.12.28

サポーター主催の集会にHFCから石水副会長(当時)、鈴木常務ほか数名のスタッフが出席し、サポーターは約120人が参加した。HFCからは経営状態の説明と支援キャンペーンの協力依頼があり、サポーターからはチケットのもぎりや清掃など経費削減のための協力申し出や支援方法の提案が出された。提案の一部についてはHFCが検討して次回の集会で回答することとなった。
集会ではHFCからの説明で一応サポーターも安心はしたが、資金面が厳しい状況だったのでカンバッチ支援キャンペーンを協力していくことを確認した。また主催者からビッグ・フラッグ募金のお願いなどのお知らせも行なった。
当日はTV局数社が集会を取材してローカルニュースで集会の模様が全道に報道された。

(2)第2回サポーター集会 1998.2.11

事前に募集したHFCへの質問と前回の提案についてHFCから回答があった。また集会前日にHFCの社長と専務のポストに市役所出身者を受け入れるとの報道があったため、この問題の是非についての質疑が行われサポーターからは反対する意見も出された。 集会でのサポーターの提案がきっかけとなり1998シーズンの厚別からボランティア活動が実施されることになった。 HFCからの出席者は前回と同じであった。(第3、4回も同じ)

(3)第3回サポーター集会 1998.6.28

リーグ戦中断の時期に開催したが、夜だったため参加者は約60人に止まった。HFCからは各種支援のお願いやJリーグの試合運営、チーム状態などの説明があった。集会後半では応援などについてサポーター同士の意見交換を図ったが、事前の準備が無かったこともあり意見交換は低調だった。

(4)第4回サポーター集会 1999.2.11

HFCから経営状態とチーム戦力などの説明があり、サポーターからはJ2降格に伴うHFCへの厳しい質問が意外と少なく、もっぱらチーム、選手、練習場などに関してのものが多かった。また後援会事務局である札幌市の担当者をゲストに迎え後援会からの説明を求めた。
出席のサポーターは約120人と第1回と同じだったが、年齢層が30代から60代のサポーターが多く見受けられた。

(5)第5回サポーター集会 2000.2.12

毎年繰返される経営危機と年末の公的資金投入問題を契機に、HFCの経営問題についてサポーターの関心もこれまでになく高まっていたので、集会では経営問題を優先議題とした。HFCからは石水副社長、鈴木常務の他に浜田常務、新任の小山チーム統括部長が出席した。
質疑応答では今までに無くサポーターから積極的に経営責任や疑問点・問題点についてHFCの考えを問う質問が出された。なお東芝移転時から中心的に関わってきた浜田常務から今回初めて、これまでの反省と新たな決意さらに将来に向けてのチームコンセプトの説明を得られたことは意義深いことだった。
集会には会場定員の150人が集まったが、前回からの傾向である30代から60代のサポーターが多くを占めた。

3.サポーター集会の今後

大企業のバックボーンを持たないコンサドーレ札幌が本当の市民クラブとして存続していくためには、市民・企業・行政の理解と支援が不可欠であり、クラブ側にも「支援し甲斐のあるクラブ」となるための不断の努力が求められる。そしてこの理解と支援を得るためには、関係者相互が率直な意見を出し合い議論することが必要である。
私はサポーター集会を「クラブとサポーターが意見交換と議論をする場」と位置づけ、互いの理解を深めることを目的としている。またサポーター集会を作っていくのは集会に参加しているサポーター自身であると考えているので、今後もサポーターの積極的な参加と多くの意見や提案が出てくることを期待している。
これからも「公開・自由参加」の基本方針を堅持して、クラブとサポーターが自由に議論できる集会を開催し、コンサドーレ札幌が世界に誇れる市民クラブになるように少しでも寄与していきたいと考えている。