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  • Subject: フロントによる総括と決意 Vol.2(サポーター集会より)
  • From: タムタム
  • Date: 2000年2月15日 21:48:06
  • Reply-to: フロントによる総括と決意 Vol.1(サポーター集会より) By タムタム

                                       Vol.2

     96年の選手で今残っているのが、レンタルの吉原を含め2人しかいないという事実は
    強化・育成の根幹の問題であると私は強く反省している。96年は5位という不本意な
    成績で終わってしまった。

     97年はバルデス、マラドーナを加え、当時のJFLでは突出したチーム力を作った
    と思っている。結果、97年の決算を見ると・・、お金は必要条件だと思っている。だか
    らといってあれば勝てるというものでもないが、だから97年はブっチ切りで優勝を飾る
    ことができた。

     98年はいい戦いをしたが、フロントにしてみれば経済的問題もJに上がればなんとか
    なる、という思惑が、つまり、入場料収入が増えるはずだ、グッズが売れるはずだ、Jの
    配分金もこれだけ上がるはずだ、というものがほとんど外れた。その時初めて、会社設立
    以来Jに上がれば、というお題目のような考え方が、98年に実際Jに上がってみたら
    全てそういうことではないと分かった。決算を見てもJFLの97年と変わらなかった。
    そこで始めて我々はある種の幻想ではなくて、このチームの身の丈というものが分かった。
    それを3年もかかったのか、4年もかかったのかとお叱りを受けることを覚悟で申し上げ
    ている。Jリーグのチームを持つことの実態が分かったのが98年だった。

     99年に関してはチームの人件費も落とし、できるだけその範囲の中でやる方法を考え
    ることに切り替えた。次に指導者をどうするかという問題があった。フロントとして岡田
    氏を監督に招聘した。日本代表監督であったが、フランスでは1勝もできなかった、と言
    われるかもしれない。人を選ぶこと、人を決めることに関していろんな意見があることも
    十分承知しているが、これはフロントとして岡田氏とチームの根幹を作ろうということで
    招聘したのが実態だ。そのチームの根幹を作るとは、東芝サッカー部の移転というところ
    から始まる形だけのスタートだったものを、5年目を迎える中で将来につながるチーム
    作りに着手したと考えていただいてけっこうかと思う。

     その年その年の結果を追い求めるあまり、無駄とは言わないが、結果的に無駄なお金を
    使ったことになるかもしれない、それはもちろんフロントの責任になるが、昇格をするの
    は目標ではあるが、その前にクラブでできる範囲、シビアなやり方を十分吟味した上で
    行くことに切り替えた。
     去年のことは誠に申し訳なかったが、監督・選手は頑張ったけどフロントを含めクラブ
    の総合的な力が足りなかったと私は理解している。

                                (Vol.3に続く)




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