[第1節]in日本平:清水エスパルス戦

『横浜の渡辺さんの観戦記』

春が来た!

 正直に言って、もしかしたら春は来ないかもしれないと思っていました。もう二度と、赤黒のユニフォームは見られなくなってしまうかもしれないと、ちょっとだけ恐れていました。
 昨年秋。念願のJFL優勝&J昇格を決め、笑顔と歓喜に包まれて迎えた白い季節は、私たちにとってことさらに厳しく辛い季節になってしまいました。言うまでもなく降って沸いたような運営会社の経営危機のことです。どれだけ多くのサポーターが胸を痛めたことでしょう。やっとたどり着いた「夢のはじまり」を、幻にしたくはない…。たくさんのサポーターが、ときには選手さえも寒空の下に立ち、チームの支援を訴える署名とバッジ販売に声を枯らしました。その甲斐あって自治体の支援と運営会社の新体制も決まり、将来に不安を抱えたままではありますが、コンサドーレ札幌はJの舞台へとやってきました。今年も彼らのプレーを見ることができるのです。 ただし、そんな窮地を迎えたチームは札幌だけではありませんでした。JFLでは年を越すことなく福島FCが解散を表明し、Jリーグにおいても市原、広島、福岡らに経営不安説が流れ、名門といわれたヴェルディ川崎でさえも親会社から緊縮財政を迫られるなど、もはやクラブ経営の健全化は特定のチームのみの問題ではなく、日本のプロサッカー全体が抱える課題と言っていいでしょう。
 そしてここにも。J初年度より参戦し、母体となる親会社を持たない市民球団の鑑のような印象を持たれていた清水エスパルスも、とりわけ長く厳しい冬に襲われました。選手年俸などの支出の増大に比して予期せぬ観客数の減少。当然収入は減少し経営環境は悪化の一途。同じ経営危機でも札幌の場合は、それでもどうにかこうにか法人として持ちこたえました。ところが清水は、とうとう運営にあたっていた「エスラップコミュニケーションズ」が事実上の倒産に追い込まれたのです。本来「身売り」が禁止されているはずのJリーグの超法規的措置によって、チームの運営権は地元商社を中心として設立された新会社に引き継がれ、チームは消滅の危機を免れたのです。
 新しい競技場での横浜ダービー。大型ルーキー小野(浦和)のJデビュー。日本の指令塔中田の活躍。昨期あらゆるタイトルを争った鹿島と磐田の2強の仕上がり。そしてW杯への最終切符を争う「代表候補」たちのパフォーマンス…。Jリーグ6年目の開幕は様々な話題で彩られました。そんな中で、大きな夢をつかむために、「現実」という名の大きな大きな壁を乗り越えてこの日を迎えたチーム同士の対戦は、いちサッカーファンにとって感慨深いものであったということを書き記しておきます。
 非難を浴びるのを覚悟で書きますが、この日、日本平に向かった筆者にとっては、結果としての勝敗などはどうでもよかったのです。まずは目の前に愛するチームがいて、大好きな選手が今年もまた元気に芝の上でボールを追う…。その姿に私たちは今年も声援を送ることができる…その喜びを、幸福感を、開幕戦では味わってみたかったのです。もちろん勝ってほしいから大声も出しました。みんなでチームのJ初勝利を祝いたいから周到な準備もしました。しかし、それもこれもチームが存在してこそのもの。…もしもコンサドーレがなくなってしまったら…筆者のみならず、多くのサポーターは暗澹たる思いでこの日を迎えることになったでしょう。それはきっと「サッカーどころ」と音に聞こえた清水のみなさんにとっても同じかそれ以上だったと思います。
 「清水-札幌」は、ある面でJリーグが抱えた病巣に立ち向った人々が勝ち取った「祝祭」といってもさしつかえなかったでしょう。

翻る「魂」

 昨年の秋ごろからホームで活躍するサポーターの中心部隊の数人が力を合わせて、「厚別にビッグフラッグを!」というプロジェクトが進行していたことは、みなさんご存知でしょう。選手の入場時にドでかいコンサ・カラーの旗をスタンドいっぱいにサポーターの手で広げて雰囲気を盛り上げ、競技場全体が一体となって応援できるようにとの発想からスタートしたものです。この製作にあたっては広くサポーターからの募金を呼びかけ、最終的には3百万円を目標にスタートしました。ところが降って沸いたようなクラブの経営危機から始まった「We are Consadole」キャンペーン(缶バッジ)や「ゆめ基金」運動など、同じように市井からの志を募る各種活動とかぶってしまい、思うように募金高が伸びていかず、新シーズン開幕にあわせた完成が危ぶまれたこともありました。
 しかし、巨大なフラッグは最終的に3つのパーツに分けて製作することになり、さしあたって中央のエンブレム部分のみを業者に発注。そしてこの日の日本平で堂々お披露目できることになったのです。
 試合日直前に仕上がったフラッグは、当日に北海道から持参するのは困難なため(重さ約30kgだそうですが、実際に持つとそれ以上に重く感じます)、あらかじめ関東サポーターの佐藤将さんの元へ業者から送られ、当日レンタカーで日本平まで運び込まれました。皆で力を合わせて重い重いフラッグをゴール裏2階席まで運び上げます。そして実際に広げた場合に旗の下にかかるエリアを計測しチョークやテープで目印を付け、目に止まるように「きょうはフラッグを広げますのでご理解・ご協力をよろしく」という段ボール製の看板も立てました。
 着々と準備が進む一方で不安が募っていったのは、当日朝に札幌を発ったホームのサポーターによる「開幕戦ツアー」部隊の到着が予想以上に遅れていることでした。数時間前に同じ東名高速ルートを走ってきた我々ですから、ある程度の渋滞予測はついていました。「羽田を降りて首都高速から東名に乗るまで、東名の横浜町田I・C付近から綾瀬バス停あたりまではかなり混むだろう」と。それにしても午後2時前後には着いておかしくありません。スタメンが発表され、清水サポが気勢を上げ始めても当方サポ席には空席があります。既に我々の周囲は清水サイドの方々に埋め尽くされ、ツアー組の方々がどうにか入れる隙間を精一杯確保している状況なのでした。最悪の場合は到着している我々関東組と、フリーでやってきたホーム組の方々(前日入りもしくは当日の新幹線移動組)だけでフラッグを広げ、応援もやらねばならない…と覚悟を決めてフラッグの梱包を解き、最終的な段取りを「フラッグプロジェクト」のリーダーである小西さんらと打ち合わせ始めた頃、ようやく息せき切ってツアー組が到着しました。すでにキックオフが迫り、ピッチでは開幕のセレモニーが始まっています。
 「もう広げちゃいましょう!」と、選手入場を待ちきれず小西さんから合図がかかりました。「それーっ!」と、中央通路に置かれたフラッグの端を手にした「クルー」たちの「下半分」担当は階段を駆け降り、「上半分」担当は駆け上がってあっという間にビッグフラッグが広がりました。「おおっ!」と日本平スタジアム中から歓声が上がります(後日聞いたところによりますと、清水サポ席から拍手やコンサドーレ・コールまで起こったそうです)。筆者は広がった旗の正面左下で必死にフラッグを持ち上げていました。そのあたりは清水側の方々が座っていらしたエリアでしたが、みなさん笑顔でご協力いただきました。「北海道から持ってきたの?」「ええ、きょうがお披露目なんですよ」「そうか、だからきれいなんだねぇ」と。
 選手入場の寸前に行ったため、選手は見られなかったかもしれません。また、当日のTVの生中継の時間にもかからなかったでしょう。が、道内の新聞・TVニュースではこぞって取り上げていただけたようです。すべてのサポーターの魂の象徴であるビッグフラッグは、これから先、愛するチームの逞しき戦いを見つづけることでしょう。

偉業へ向かって

試合については道内においてはTV放送もありましたからじっくりとご覧になった方も多いでしょうし、逆に筆者はゴール裏でワッショイワッショイやっておりましたので(笑)簡単に触れます。
 立ち上がり。札幌に心配された硬さは見られず、逆に清水イレブンに緊張の影が見えます。18歳のルーキー右サイドバック市川をはじめ、全体にパスミスも多く、札幌が運動量で圧倒し押し込みます。最初のシュートも最初の決定機も札幌でした。盛り上がるサポ席。まるで厚別がそのまま引っ越してきたような赤い一角は、18分に訪れたバルデスのゴールで沸点に達しました。左サイドで深川からウーゴに渡ったボールは素早く中央へ低く浮かされ、ここへバルデスが相手DFと競り合いながらも頭1つ分伸びて捉えたボールは、嘘のようにゆっくりと清水ゴールに吸い込まれていきました。
 「どうだ! 札幌もなかなかやるだろう!」と鼻高々で応援のトーンを上げ始めたころから、ピッチでは札幌の選手に「異変」が起こっていました。最初に筆者が「おやっ?」と気付いたのはウーゴのプレー。 自陣深くまで戻ってディフェンスに回るのはいいとして、周囲を清水の選手3人に取り囲まれた状況でドリブルを始めたのです。両サイドにはフリーで受けることのできる選手がいたにもかかわらず…です。 何のつもりかと見ていると、いきなり前線のバルデスへ向かってロングボールを蹴っていきました。「まずい…」。昨年後半、相手チームに戦術を研究され、苦し紛れに選んできた「バルデスへドーン!」の戦法が、J開幕初戦の、しかも30分もたたないうちに顔を出してきてしまいました。それも仕方のないことで、いつの間にやらあれほど高い位置でコンパクトに保たれていた札幌の前線から最後尾までのラインが、疲労したスプリングのように間延びしながらずるずると下がり始めてきていたのです。その傾向は清水・アルディレス監督が早くも前半35分に大榎に代えてアレックスを投入したことで一層顕著になりました。
 1点を奪われて清水も目が覚めたのか、はたまたようやく開幕戦の緊張がほぐれたのか、守っては組織的な守備で札幌のパスコースを寸断することでボールを奪いにかかり、攻めてはアレックスをサイドへ走らせることによって揺さぶりをかけはじめます。1対1の勝負では個人技に勝る清水アタッカーに抜かれると見るや、札幌イレブンは徐々に腰が引けた守りを選択し、陣内奥へ持ち込まれるたびに2人、3人がかりの数的優位を保って、なんとか決定的な局面を防ぎます。ところがそれは即ち中盤の過疎化を助長することにつながっていきます。1人が間合いを詰め、1人がボールを奪い、もう1人に渡した時点でクリア…したとしても、そのやり方では反撃に移れる人員を確保できません。後方からボールをつなぐこともままならず、残された道はバルデスへの「ドカーン!」か、もしくは当てずっぽう(に見える)クリアしかありません。先週東戸塚のフリエとの練習試合で見せたような落ち着いた組み立ても押し上げもすっかり影を潜めていました。
 それでも前半はなんとかしのぎきってハーフタイム。リードしての折り返しにサポ席は上気しきって「行けるよ行けるよ!」の声がしきりに上がっていましたが、筆者は「決していいサッカーをしているわけじゃない」と、重苦しい気持ちをぬぐうことはできませんでした。J昇格チームが開幕戦で勝利を収めた例はセレッソ大阪の1度しかありません(しかもVゴール)。「開幕戦勝利」という偉業に向けて、選手もサポも大きな大きなプレッシャーを現実のものとして感じていた…そんな前半・ハーフタイムでした。

初めての地獄絵図

 後半。フェルナンデス監督は何らかの目に見える手だてを講じてくると期待しておりました。が、特に選手交代もなくホイッスルは吹かれ…そして前半の続きが始まりました。恐らく敵将アルディレス監督は「後半は札幌も何かやってくるかもしれない」と考えていたのかもしれませんが、「そのままだ」ということをまずは確認したようです。それから元日本代表のDF堀池に代えて、こちらも元代表のFW長谷川健太をピッチに送り、続いてようやく攻撃参加もできるようになった右SB市川も「ご苦労さん」と安藤に交代。登録上は3-4-3になりましたが、実際はMF森岡がDFラインに下がって4-3-3。いえ、オリバとファビーニョを軸としてアレックスと長谷川がサイドをガンガン崩す様は「4トップ」と呼んでも差し支えないくらいの大迫力の猛攻を展開しました。その分、薄くなっていてもおかしくない中盤でしたが、イーブンボールを支配するのは決まって清水。最終ラインの押し上げと伊東、沢登といった「汗かき部隊」の活躍で、次々と有効なボールを両サイドのオープンスペースへ供給します。
 では札幌の選手は何をやっていたのかというと、高い位置で勝負することをすっかり放棄し、ゴールを背にしてアップアップの状態。前半のうちに軽い脳震盪を起こしていた村主を鳥居塚に代えても流れは変わらず。そしてついに後半19分。アレックスから中央オリバへ渡ったボールが、飛び出したGKディドの鼻先をかすめるようにゴールへ吸い込まれ、同点にされてしまいました。
  これで攻める気持ちを取り戻して欲しかったところなれど、清水の攻勢がそれを許してくれませんでした。27分にはPエリア内で相手選手を倒しPKを取られました。微妙なプレーではありましたが、主審はその少し前の木山(だったと思う)のPエリア内でのハンドを流しており(清水側がどっと沸いた。遠目でも明らかなハンドだった)、今度は笛を吹かざるを得なくなっていたのではないでしょうか。ただ、こういった「帳尻合わせ」とも「合わせ技一本」とも言える判定には、一スポーツファンとしては眉をひそめざるを得ません。ま、とにかくPK。構えるのは沢登。対峙するのは守護神ディド。
 不安を追い払うように双眼鏡でこの2人の動きを見詰めます。40歳を過ぎてもなお「完璧」という理想のGK像を追い求めるディド。行く先々のチームで選手・サポーターの尊敬を集めるこの選手の数少ないウィークポイントが、このPKの対処ではないかと筆者は睨んでいます。筆者の記憶の中には彼がPKを止めたシーンはJリーグ時代を通じてもインプットされていません。昨年も江戸川でのPK戦で6人すべてに決められた他、手元の資料によれば鳥栖での大分戦、アウェイ山形とナビスコカップの鹿島との2戦…と、与えたPKの機会すべて決められているのです。その理由を筆者なりに考えてみました。ひと口で言えば「読めて」しまうのです。このときもそう。沢登が蹴るコンマ何秒か前に「左…」と、なんとなくわかってしまいました。100m以上も離れた場所の筆者がわかるのですから、11mの位置にいるキッカーが気づかないはずはないでしょう。ボールは右へ飛んでとうとう清水が勝ち越し。直後のプレーでバルデスが1対1になりかける見せ場がありましたが、事実上これでこの試合は終わってしまいました。
 あとはもう集中力プッツン。札幌イレブンは右往左往するばかりで面白いように清水にボールを回され、まったく抵抗することもできません。終盤、見事に崩されてファビーニョに2ゴールを許すに至ってはまさに「地獄絵図」の様相でした。
 札幌のシュートは前半の4に対して後半は半分の2。逆に清水は前半の5から倍増の10。そのシュートも前半のうちは枠を捉えない(つまり不完全な状態から打ったシュート)ものが5本中4本もあったのに、後半は9本中(PKは除く)5本が枠を捉え、うち3本がインゴールとなったのです。いかに札幌守備陣が崩され、充分な体勢から打たれていたかがおわかりいただけるでしょう。
 「前半の戦い方はよかった。それなのに後半は選手が自ら引いてしまったのが気に入らない」とは、試合後のフェルナンデス監督の談話だそうです。筆者としては「1点取るまでの戦い方はよかった」とだけ変えてみたいと思います。前述のように破綻の気配は既に前半からあったのです。選手個々への批判は避けたいのですが、闘志のかけらさえ認められない終盤のチームに対しては「こんなの俺が知っているコンサドーレじゃない!」と叫びたくなりました。それは日本平アウェイ側2階席を埋めたホームからのサポーターの共通した気持ちだったかもしれません。今回がアウェイ初観戦という方も大勢いらしたとは思いますが、その方たちはコンサドーレが負ける試合を、これまでほとんど目にしていないはずです。過去に道内で苦杯を喫した一昨年の帯広での東京ガス戦も、昨秋のナビスコカップ鹿島戦(厚別)も、イレブンは最後までファイティングポーズを取ることを忘れませんでした。記録的大敗となったカシマでの試合(0-7)でも、「なんとか1ゴールを!」とゴールへ迫る気力だけはピッチから感じられました。そんな熱いハートのサッカーがあったからこそ、厚別初登場となった一昨年の鳥栖戦や、昨年の川崎F戦のような感動的なゲームも生まれたのです。今回のような自ら戦いを放棄したに等しい、サポーターの声援への「裏切り」と言われても仕方のない試合ぶりは「アウェイだから」という理由だけで片付けてよいものでしょうか。悪夢の逆転負けという結果のみならず、この「自ら引いた」という事実は、信じる心で支えあっていた私たちの足元を大きく揺るがすことになったかもしれません。(だからといってもちろん応援をやめるわけではありません)

書き漏らし棚ざらえ

 ホームの方々よりも負け試合を見慣れている(?)筆者にとっても、気分がずんと落ち込むような敗戦でした。いくら「結果としての勝敗はどうでもいい」とは思っていても、まさか逆転を招き入れるような試合になるとは…。関東から遠征した仲間たちは、近くに一泊してイチゴ狩りを楽しんで帰京する予定でしたが、筆者は都合で先に新幹線で帰ることになっていました。静岡駅の新幹線上りホームを歩いていると、目の前のベンチに…なんと吉原選手の姿が。途中出場し名実ともに「Jリーガー」としてデビューしたコンサドーレのアイドルは、ひとりぼっちでチームのガイドブックをパラパラとめくっていたのです。実はチームはこの日のうちに次の試合地である仙台へ移動したようなのです。「お疲れさまでした」と近づくと、コータくんは少し緊張したような顔で「あ、お疲れさまでした」と答えてくれました。これだけアウェイの試合(要するに比較的サポーターが少ない試合)を見に行っていますので、彼も筆者の顔ぐらいは見覚えがあったようです。続いて「相手は強かった?」と聞いてみました。わずかに笑みを含んだ表情から「はい…」と言葉少なに話すコータくん。「相手は強かったけれど、僕だってこんなもんじゃないさ」とでも言いたかった…のだと、筆者は勝手に断定します。それは「次は柏に見に行くから、カッコいいとこ見せてね」という声に対して「はい!」と答えた雰囲気から感じとったものです。彼と、結局ここでは会えませんでしたが他の選手数人は「ひかり」で東京へ直行したようです。筆者はすぐ次の「こだま」で、のんびりと横浜へ帰りました。
 清水のサポーターの皆さんはみな気持ちのいい方々ばかりでした。サッカー王国の象徴であるチームを守ったという誇りがそうさせるのでしょうか。会場への交通の便の悪さがなんともうらめしいのですが、日本平はとってもいいところだったと記しまして、悔しい悔しい観戦記を締めさせていただきます。

(以上記事提供:横浜の渡辺さん)