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  • Subject: 馬場さんは札幌に夢をくれた人
  • From: あきの
  • Date: 1999年2月02日 13:28:37
  • Reply-to: Re: 全日プロどうなるの By Kamikaze

    ううむ。コンサのファンである一方、馬場さんの逝去を
    悼んでくれる方がこんなにいらっしゃったとは・・・。
    何か救われた思いです。

    プロレスにくわしい人ならご存じかもしれませんが、
    馬場さんにとって、札幌はあまり相性のいい街ではありません。
    日プロ時代に、ファンクスに負けてインタータッグを失った
    「BI砲最後の試合」の会場が札幌中島スポーツセンター(当時)
    でした。全日になってから、ハンセン・ブロディ組に連続試合
    出場記録を止められたり、天龍選手にフォール負けをしたり
    したのも札幌でした。
    札幌のみならず、帯広でもハリー・レイスに負けてPWF王座を
    失ったり、太ももの骨を折る大けがをしたりしています。

    馬場さんは若手時代、北海道遠征がつらかったそうです。
    当時の移動は列車と連絡船。「青森駅から連絡船に乗る桟橋
    まで、長い長い通路を重いバーベルを持って移動するのが
    とてもこたえた」とたびたび語っています。

    でも馬場さんは札幌の大会をとても大事にしてくれた
    人でした。ここ数年のマッチメイクをみても、三沢と
    田上の三冠戦、馳と小橋の一騎打ち、三沢・秋山組と
    人生・ハヤブサ組の夢の対決など、首都圏のファンが
    よだれを流すような試合を組んでくれました。
    馬場さん自身も、あの藤原組長と闘ったり、バトラーツ
    の池田大輔選手と「平成のBI砲」を組んだりしてくれ
    ました。

    馬場さんはプロレスを通して、札幌の人々に夢を与え
    続けた人です。同時に、札幌中島体育センターを
    「日本のプロレスの北の聖地」とする基盤を築き、
    他の団体も札幌興行を重視するようになった流れを作った
    人でもあります。

    願わくば、コンサも札幌の人々に夢を与え続ける存在で
    ありますように。そして、プロレスのみならずサッカーでも
    札幌が「北の聖地」と呼ばれる街になることを祈ります。

    馬場さん、ありがとう。1月31日は「巨人忌」として
    あなたのことを永遠に心に刻みます。





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